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病気や障害を抱えるこどもや家族への関心を高めるWEBメディア

クリニクラウンジャーナル

元タカラジェンヌは大切なこども時代を見守るスペシャリスト “こども時間”をリズムにのせて〜クリニクラウン・ゆうかり

クリニクラウンって、いつもニコニコ笑顔で、活動的で元気いっぱい。
「ちょっと、私とは、別世界の人なんじゃないかなぁ?」って今このページを読んでくれているあなたも感じているかもしれません。

そんなクリニクラウンの中でも、 “元・タカラジェンヌ”という華やかな経歴をお持ちの“ゆうかり”こと山田ゆかりさん(以下山田さん)に、自称・シャイな私がインタビュー! そのキラキラとした眩しさの光源を尋ねてきました。

「こどもたちが、被害者にも加害者にもならない様に」

きっかけは、ご自身のお子さんが3歳の時に起こった神戸連続児童殺傷事件に遡ります。
当時、神戸に住んでいた山田さんは、事件を契機に「大切なこどもを、被害者にも、加害者にもしたくない」と強く思います。「そのために必要なことはなんだろう?」と考えて参加したのが「CAP(子どもへの暴力防止プログラム)」です。
こどもの人権を考え、守る活動の中でクリニクラウンのことも知りました。

クリニクラウンにエントリーしたときの、課題作文のテーマは「今の社会を生きるこども達に必要な支援について」でした。山田さんの願いにピタッと一致するこのテーマが、運命の出逢いへと繋がります。

「こどもの育ちに対してちゃんとアプローチしようとしている団体なのだなと思いました」。

「自分という人間を受け入れてもらう」そのぬくもりから始まった

宝塚歌劇団という異色のキャリアを歩んできた山田さん。社会のことにも疎く、「こんな世間知らずのままでやっていけるのかしら?」と不安でいっぱいだったそうです。
退団後、資格も経験もないまま飛び込んだ福祉施設の皆さんに「自分という人間を受け入れてもらったこと」に力をもらい、その後の人生の選択を大きく決定づけられます。「こどもと障がいのある方に関わる仕事をしていこう!」改めて、そう決めた瞬間でした 。
その福祉施設で少し手話も学んだことが、後にクリニクラウンとしての病院訪問に役だった事もあるそうです。

「みんながいる総室では、クリニクラウンには関心が無い様に感じたこどもが、個室に移った時に実は耳が聴こえないとわかったことがあって。手話で話しかけてみたら、とても喜んでくれました。別の日にお母さんから前もって『今日は体調が悪いから遊べないと思う』と聞いていたのに、クリニクラウンが訪れると、自分から『起こして 起こして』と伝えてくれて。とても嬉しそうに笑って遊んでくれて、良い関わりができたことは忘れられない思い出ですね」

“必殺技”はなくても良い!?

クリニクラウンとして病院を訪問する時に、ドラえもんの道具のように「こんな必殺技があったらいいな!」と思うことはないのでしょうか? クリニクラウンの“ゆうかり”には、得意技があったりしますか?

「リズムを使って、こどもの気分を変える事が出来る事かな? こどもが泣き止むヒミツの道具があったらほしいかもしれないけど(笑)」。
と、にっこり笑顔の山田さん。つづけて、「特に“必殺技”はなくても大丈夫かな」と話します。

「パフォーマーとして活躍しているクリニクラウンのメンバーに、ジャグリングを習ったこともありますが、病院には必ずペアで訪れるので、相手の面白さや特技を引き出しあいます。こどもの様子を見ながら、お互いに助けてもらったり、補い合ったり出来るので、2人が協力し合う姿をこどもたちには見てもらいたいです。」

ペアについて話す横顔はとても力強く、仲間への信頼を感じました。

東日本・阪神大震災で考えた、それぞれの幸せって?

山田さんは、日本クリニクラウン協会の東北支援事業にも関わっています。この事業に協力したいと思ったきっかけのひとつは、ご自身が、阪神・淡路大震災に被災した時に感じた思いが大きいそうです。

「同じように被災していても、一人ひとり違う経験をしていて、違うものをみんな抱えていて、みんな同じではないですよね」

山田さんのお子さんは、阪神大震災に被災した時、6ヶ月でした。つまり、同級生は、みんなあの時、赤ちゃんだったか、お母さんのお腹の中にいました。その共有体験で一体感を得る事もあれば、「被災時に、神戸にいたのか?いなかったのか?」「火事にあったのか?あわなかったのか?」という被災体験の違いで、ふと壁が出来てしまう瞬間もありました。
同じ「被災した」と言っても、「その経験をひと言でまとめることなんてとても出来ない」と感じたというのです。

そして、それは病気のこども達への思いへも繋がります。同じ病院に入院しているこどもでも、病気の種類も家庭の事情も異なるからです。

特に東北支援事業では、クリニクラウンとしてだけではなく、スタッフとして同行する機会も得て、赤い鼻をつけている時にはじっくり聞けない被災時の話などを、病院の先生やスタッフから、詳しく聞く事が出来、より思いを強くしました。

「元気に過ごしている人でも悩みはいろいろあり、病気を持っているこども=かわいそうでは、ないのです。人って、それぞれみんな違うから、その人その人が悩んでいる事とか嬉しい事とかっていう、両方を誰もが持っているのだろうなぁって」。

山田さんは、震災の経験から人を簡単に括ったり、決めつけてはいけない、と強く思うようになったそうです。

そこが、『お家』で『公園』で…

クリニクラウン、CAP、そして、知的障がい者の為のアクションワークショップ
(演劇の手法を使って、コミュニケーションや感情表現の方法を引き出す)と、
さまざまなかたちでこどもの人権を守る活動をつづける、山田さん。改めて「クリニクラウンならではの魅力とは?」を聞いてみました。

「クリニクラウンは、病院の中で出会う全ての人に関わる事ができます。
環境そのものに働きかける要素が大きいのです。他の活動では、大人だけこどもだけと、それぞれ個別の場所ごとに関わらなければいけない問題でも、病院では1回のアプローチで実現できます。

長く入院しているこどもにとっては、病院がお家(生活の場)であり、学校(学習の場)であり、公園(遊び場)でもあります。育ちの場がぎゅっと凝縮したその環境が変化するという事が、こどもたちにとって、どれだけ大きくて、大切か……」

「お家でもあり、学校でもあり、公園でもある」病院の環境が変化する中で、人見知りだったこどもが、話せるようになり、一緒に遊べるようになったり。落ち込んだ表情だったご家族が笑顔になったり。「人が変わっていく姿を見られることが一番嬉しい瞬間」だと山田さんは話してくれました。

最後に、インタビューの後の雑談で山田さんが話してくれた言葉が、とても印象的だったので、日本クリニクラウン協会の活動に興味を持ちながらも、「参加しようかどうしようか」と迷っているみなさんに届けたいと思います。

「こどもの為になることは、今すぐに行動して欲しい。だってこどもたちはみんな、すぐに、大きくなっちゃいますものね」

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山田 ゆかり
1968年生まれ。兵庫県出身。
元宝塚歌劇団 茜このみ。退団後、身体障害者施設に勤務。結婚出産を機に退職。子育て中に出会ったCAPの活動から子どもの人権に関わる活動を始める。「あかねわーくしょっぷ工房」として、子育ての社会化、家族の支援をテーマに講座を企画。講師として障害者施設などで演劇の手法を使ったワークショップの提供をしている。2010年クリニクラウンの認定を受けクリニクラウンとして病院を訪問し、2013年~2016年事務局スタッフを兼務。東北支援事業を担当し東日本大震災が起こった地域の小児病棟へのクリニクラウンの派遣・訪問を行う。現在は、全国の小児病棟を訪問し、入院中のこどもたちにこども時間を届けている。
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<ライタープロフィール>
東元久実
旅行会社で働きながら、小さな頃の忘れかけていた夢〜物語を書きたくなり〜
大阪芸術大学芸術学部文芸科で学び、無事に卒業するも、現在、普通の会社員です。 入院病児のきょうだい支援のボランティアにも参加する中で、大人よりも、より環境に左右される子供達の世界で、苦しんだり悲しんだりしている時に、「大丈夫だよ」と励ましてあげられる、ほっとできる場所や物語を作れる人になりたい、と思ったのが、また書きたくなった動機です。

クリニクラウンは、会社の社会支援事業の広報誌で出逢いました。
その笑顔の写真に惹かれホームページを見たら、ボランティアライターを募集しており今回、素敵な出逢いとなりました。