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病気や障害を抱えるこどもや家族への関心を高めるWEBメディア

クリニクラウンジャーナル

「こども時間」の前にあるもの、先にあるもの~クリニクラウンとこどもたちのプレゼント交換~

取材・文 吹田博史

認定特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会の理事であり、“クラウントンちゃん”としての豊富なクラウン経験を持つ石井裕子(いしいひろこ)さん。同協会の設立から今日までの石井さんの想い、そしてクリニクラウンの立場から感じている課題などを語っていただきました。

●病院はこどもが我慢するところなの?

オランダ王国総領事館からの呼びかけで、日本でクリニクラウンの組織を立ち上げるという話が始まったのは2004年のこと。当時、地域の高齢者や患者さんを元気づけるケアリングクラウンとして活動していた石井さんは、オランダ王国総領事館のヨルン・ボクホベンさんから「一緒に活動をしませんか」と声をかけられます。

石井さんはケアリングクラウンとして活動するなかで「日本の医療は進んでいるけれども、入院中のこどものメンタルヘルスケアは不足しているのでは」と感じていました。その気持ちは、ヨルンさんと話をするなかで、はっきりとしたものに変わったそうです。

「ヨルンさんは、『日本では、入院患者は病気を治すためにはすべてを我慢しないといけないのでしょうか』と言いました。特にこどもへの『病気を治すのだからがんばりなさい』『我慢したらなんでも買ってあげるよ』という対応を何とかしたい、と」。

もちろん、「小児病棟の環境を変えよう」と努力をされている病院もありましたが、中には病気を治すためにこどもらしい環境を奪ってしまっている病院もあることに、石井さんも疑問を持っていました。

「体の成長と同じく、こどもにはその時にしかないメンタルの成長があります。ヨルンさんのお考えを聞いて、こどもがこどもらしい時間を過ごすことが、とても重要だと確信しました」

でも、どうして石井さんは、そういった病院の環境に疑問を持つことができたのでしょうか? その背景には、ケアリングクラウンとしてスウェーデンやアメリカなどを訪問し、各国の小児病棟を見てきた経験がありました。

「欧米諸国の小児病棟はとてもカラフル。こどもとクラウンが遊んでいて、こどもたちがこどもらしくいられる時間を過ごしていました。『日本では考えられない!こんな空間が日本で実現するのはとても無理だろう』と思っていました。『少なくとも何十年もかかるだろうな』と」。

ところが、クリニクラウンの活動が紹介された翌2005年10月には、NPO法人日本クリニクラウン協会が設立されることに。「こんなにも早く、クリニクラウンの活動が浸透するとは思ってもいませんでした」と石井さんは当時を振り返ります。

●「伝える」から「伝わる」への意識改革

日本クリニクラウン協会の設立から、13年目を迎えました。クリニクラウンとしてこどもたちと関わるなかで、入院中のこどもたちの療養環境はどのように変化しているのでしょうか。

「こどもたちを取り巻く環境、看護やケアの考えが確実に変わってきていると感じます。特に私たちが訪問する小児病棟はとてもカラフルになってきましたし、地域の美大生が、病院で四季を感じられるようにと、壁に絵を描いたりしています。多くの人たちが関わっていることがわかります」。

「また、病院でボランティアをするという文化も育ちつつあります。かつて日本にはなかった文化が生まれ育っていく様子は、目を見張るほどでとてもうれしいです」と石井さんは話します。

こどもの療養環境やそこに関わる人たちの意識が変わる一方で、クリニクラウンの認知度の低さは大きな課題です。協会の活動を含め、どうすれば多くの方に伝わるのでしょうか。

「ありきたりですが、協会に携わっている人が、まず10人に発信し、そしてその10人がまた次の10人に発信していくということが重要です。その根底には、人と人とのゆるぎない信頼関係や、自分自身を振り返る姿勢があって、初めて発信内容が正しく伝わるのだと思います」。

それでも、「信頼を得る」というのは簡単ではありません。

「信頼を得るには、人の見えないところで社会のお役に立つことを、こつこつ積み上げていくことです。そうすれば必ず、『赤い鼻をつけたクリニクラウンは社会から信用される活動しています』ということを、自信を持って示せるようになると思います」

今、日本クリニクラウン協会は、地域のイベントなどで団体のことを多くの人たちに知っていただくよう活動しています。この「クリニクラウンジャーナル」の発信もそのひとつです。

●出会いはチャンスと捉えよう!

ところで、初めて出会う人との向き合い方はどうすればいいのでしょうか。

「クリニクランを知らない人たちからの理解をすぐに得ようとしても、難しいし、伝え方がわからないということもあるしょう。でも、そこで立ち止まっていてはいつまでもそのまま。まずは、『自分がやろうと思ったことをやってみる』。この姿勢でいいと思います。人と人との出会いはチャンスと捉えることです」

発信の対象は、個人だけでなく助成金を拠出する団体や社会貢献活動として関わる企業も含まれます。

「そうした企業、特にその中心で活動されている人たちには、丁寧に活動内容を開示しご理解いただいています。。例えば、東日本大震災の発災から続けている東北へのクリニクラウン派遣活動も、多くの方々からのご理解があればこそできるものです。こうした事例を、私たちだけでなく企業の方々からも広く発信していただくことで、大きな信頼が得られると思います。」

NPOも企業も活動内容を開示することで、ステークホルダーに価値を認めていただくことは同じです。長年NPO活動に携わっている石井さんは、特に意識していることがあるといいます。

「NPOは社会から『いいことしているんやね』という目で見ていただいていますが、それに甘えていてはいけません。日本クリニクラウン協会は認定をいただいて『信用』される団体になったのですから、これからは今以上に、持続可能な団体として活動していくことを意識しないと生き残れないと思っています。」

●クリニクラウンとこどもたちの「プレゼント交換」

持続可能な団体であり続けるために、日本クリニクラウン協会は「こども時間」を大切にしています。“クラウントンちゃん”として活躍している石井さんは言います。「こども時間」はこどもにとって「生きている証」であると。

「ずっと前、小児がんと闘っていたお子さんがいました。小児がんと闘って、闘って、闘って……亡くなってしまったのですが、その間、本当に長くお付き合いをしました。よく、病室から点滴台を持ちだして、廊下で追いかけっこ遊びをしてたんですよ。」

長い間一緒に遊んできた石井さんは、そのお子さんの最期が近づいていることを感じていました。それは、起き上がることができなくなったときにクリニクラウンとして病室を訪問したときのこと。

「ベッドサイドで『あんなあ、……いつもトンちゃんと追いかけっこしていたやん』と言うと、そのお子さんはグーッと私の手を引っ張ったんです。点滴台を引っ張って遊んだときのことを思い出してくれたのでしょう。追いかけっこをしながら私は『そんなに引っ張ったら、トンちゃんついていかれへんやん!』と、言っていました。いのちの最後の最後の時に、そのお子さんは『こども時間』を思い出して、持てる力を出し切って、生きる姿を見せてくれました。」

こどもはそこまでして生き切ろうとする、遊んだことを覚えている、このことを目の前に突きつけられた時、「こどもは遊びのなかで生きている、遊びが生きる力となっている。私はもっとたくさんのこどもたちに遊びの体験、『こども時間』をプレゼントしていこう」と、そのとき石井さんは心に決めたそうです。

こども時間をプレゼントする石井さんに、逆に病室から「プレゼント」を贈ってくださる人もいます。

「その人は障がいのある方で、こどもの頃からずーっと関わっていて、今は31歳。一日のほとんどは寝ていて、たまに起きた時はいつも怒っています。先日、私は2年ぶりに会いにいきました。」

事前の看護師さんとのカンファランスでも「今日の具合はどうでしょうねえ」との発言もあり、病院スタッフからも心配されているなかでの病室訪問でした。

「『今日も寝ているのかなー、トンちゃんやで。2年ぶりやけど、今、来たでー』と言って病室に入りました。そうするとその人は突然目を開けて、むっくりと起き上がり、そして、にこーっと笑ったのです。そのことを看護師さんに伝えたところ『それは奇跡ですね!』と。2年間も会っていなかった人が覚えてくれていて、私に素敵な笑顔をプレゼントしてくれたのです。」

石井さんが届ける「こども時間」という「プレゼント」。そのお返しに、時を越えた「プレゼント」を贈ってくれるこどもたち。石井さんとこどもたちは、目には見えないけれど、かけがえのない「信頼」というプレゼントを交換しているようですね。

●「今」を築く、「今」に取り組む

最後に、これからの石井さんの日本クリニクラウン協会での役目について聞いてみました。

「これまでいろいろな人との出会いや学んだことが、今の私を作っています。ですから私の知っているすべてのことを、若い人につないでいくことが私の役目。必要とされているうちは、しっかりその役目が果たせればいいかなと。でも、経験から学んだことを伝えることは難しい。何せ相手は経験していないのですから。『昔はこうだった』と強制するようなことを言ってはいけないと思っています。『今』を築いているのは、いつの時代も『今』に取り組んでいる人なのですから。」

石井さんは日本クリニクラウン協会を立ち上げた当事者であり、理事であり、また、今もなお現役のクリニクラウンとして活躍するメンバーです。 だからこそ、いろいろなことに挑戦する若い人の気持ちを理解され、協会の将来を大いに期待しているのでしょう。次にお話しするときは、日本クリニクラウン協会が持続可能な団体として「こんなこともできるようになったんやでー」と、グレードアップした協会のお話が聞けるのではないでしょうか。

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石井裕子
1949年生まれ。島根県出身。
2000年にアメリカのクラウンキャンプにてケアリングクラウンを受講。その奥深さに興味を持ち続け、その後日本クリニクラウン協会設立委員として、2005年にクリニクラウンの研修をオランダで受ける。2005年10月の法人設立当初より、クリニクラウン養成トレーナーを担当。2013年に理事に就任。現在クリニクラウントレーナーとして事業を統括し、日々ワクワクドキドキに心を踊らせながらクリニクラウンとして全国の小児病棟を訪問している。また、学会や医療・福祉・教育の分野で講演会・研修会の講師も務めている。

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<ライタープロフィール>

吹田 博史
東京生まれ、西宮育ち。1988年大学卒業後、武田薬品工業株式会社に入社。営業、営業推進、労働組合、社長室を経験後、現在、コーポレート・コミュニケーションズ&パブリックアフェアーズCSRにおいて、日本における企業市民活動の企画・推進に取り組んでいる。

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